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キリストの教会を建て上げる 20180916

予想外のことが起こるとなかなか受け入れづらいことがある。それが、たとえ、喜ばしいことであっても難しいときがある。
「異邦人が異邦人のままで救われる」ということは、大きな驚きであった。「割礼を受けていない」異邦人が救われるのである。
忠実に律法を守って来たユダヤ人からしてみれば、あまりに気前の良い神様の行動に驚きを隠せなかったはずである。せめて、「割礼を受けてくれたら」と思ったのかもしれない。しかし、「主の救い」は、人の手によらず、完全に「主の恵み」において成就されたものである。
神のひとり子であるイエス・キリストを罪のいけにえとし、死と復活によって、罪にも死にも勝利された。だから、ペテロは証言した。
「私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」(使徒15:11)
「恵み」であるがゆえに、誰にでも分け隔てなく、その「恵み」は注がれている。ただ「主イエスの恵み」によって、信じる者たちは、神の子供とされるのである。私たちが「一つ」とされる所以は、この事実のみあるではなかろうか。救いの道が唯一であるからこそ、その恵みに預る者たちも「一つ」とされていく。まさに「キリストの教会」である。

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