SSブログ

20190331 房を作らなければならない  ミシェル宣教師 [礼拝メッセージ]

申命記22章12節 




20190310「誓いの話」民数記30章、伝道5:4、5

☆契約の神は真実な御方、契約の民に対して誠実を求められる。
「バプテスマは…正しい良心の神への誓いである。」 Ⅰペテロ3:21
あなたは御聖霊の助けにより、十字架の犠牲をもて罪を贖われた主に誠実に応答し続けているだろうか?「約束された方は真実な方ですから、私達は動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。」(ヘブル10:23ー25)これが継続の秘訣である。さて、今日の御言葉は誓いの秩序を教えている。
①独立していない未婚女性や妻の立場にある場合(3ー8節)
②夫のいない女性(死別、離婚 )の場合 (9節) に拘束を解かれたり、遵守すべき決まりが定められている。実は、父や夫の権威を強調するかに見えて、寧ろ、女性が父や夫に仕える任務を、奉献や物断ちより評価しておられることを示している。
☆主は約束の成就者 Ⅱコリント1:15ー24
①誓願は自発的であり、表明すべきであり、拘束力をもち、悪用乱用は非難される。(申命  23:21ー23、箴言20:25、マタイ5:4ー6、ヤコブ5:12) パウロは満願の事例を示している。(使徒18:18)また、誓願実行は報いを伴う。(Ⅱ歴代15:12ー15)互いに励まし合おう。
②禁止された誓い
偶像や被造物の名による場合や偽りの誓いは禁止された。(マタイ5:34ー36、レビ19:12)
脆弱性と愚鈍さをもつお互いが絶えず御霊なる主に助けられ、御言葉により聖別されて軌道修正されてこそ、御旨に叶わしめて頂くことが出来る。単独静思やグループ静思、礼拝が大切な所以である。(ヨハネ15:4、5、17:17ー21)

20190317 神の義 ローマ人への手紙1章1-17

ローマ人への手紙は、「パウロは奴隷」という単語から始められている。「しもべ」という言葉は、「奴隷」と同じ言葉である。ローマの人々には、どのように届いたであろうか。けっして、耳障りの良い言葉ではない。
当時のローマは、人口の約25〜30%を奴隷が占めていたと言われている。パウロは、ローマの市民権を所有していたので、「しもべ」という言葉の意味をよくわかっていたであろう。もちろん、「奴隷」であっても、都市部と農村部では、扱いが違い、能力の高い奴隷は、主人から責任ある仕事を任されたりもした。
しかし、ここで大切なのは、「主人が誰なのか」ということである。パウロは、イエス・キリストから選び出され、使命を与えられ、使徒として召されたという事実である。パウロは、「福音を伝える」という使命を「恥とはしない」と宣言している。「神の義」とは、「神様ご自身が義なる(正しい)お方」であるという実質概念と、「正しい関係もしくは回復」という関係概念がある。
パウロは、かつては、福音を「恥」として迫害していたが、イエス・キリストと出会い、悔い改めて、僕となった。自分の義ではなく「神の義」を証しする者へと変えられた。「福音は…信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。」(ローマ1:16抜粋)

20190317 慢心を戒む 大槻主任牧師 [礼拝メッセージ]






20190303 誓願を果たす 大槻主任牧師 [礼拝メッセージ]




20190331 神の怒りと悲しみ ローマ人への手紙1章18-32節

「最初からやり直す」なかなか面倒なことである。誰もが経験したことのある「ボタンのかけ違い」は、下の方をいくらそろえても、最初からやり直さなければそろうことはない。
1章18-32節には、罪ある人の姿が描き出されている。読むのもはばかる言葉が並んでいる。しかし、元々は「彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず・・・」(21節)「彼らが、神を知ろうとしたがらないので・・・」(28節)と、その原因が「神を無視したこと」であると書かれている。
最初は少しのズレだったかもしれない。しかし、そのズレは放置すると大きく、自分自身も思っていなかった所まで拡大する。だからこそ、人が越えることの出来なくなった裂け目を神の方から乗り越えて、私達の所まで来てくださった。それは、イエス・キリストの贖いによって救うためであった。
イエス・キリストは、私達の「今」の状態を教え、「神を神としない」という「罪の原点」に引き戻す。どんな「罪人」も神の目には高価で尊い。神の元に立ち返ろう。主は私達の帰りを待っておられる。(参考:エゼキエル18章30-32節)

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。