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「森の木々もみな歌おう」  詩編96 篇

詩篇の自然嗜好は多くの詩篇に見られる。詩人の心に創造神への告白がある。聖書の神は非人格的な偶像や機械や法則や運命ではない。生きて、働き、介入し、統治し、審判されるお方である。その神ヤハウェは選民イスラエルだけの神ではない。全地、全世界、全宇宙の主である。
さて、本詩編の背景にペリシテから返された神の箱の新首都エルサレムへの迎え入れの物語がある。(第1歴代16章)族長時代の回顧を省き、その故事を回想させる神讃歌である。同時に、選民イスラエルの背信、違反により救いが異邦人に及ぶ(詩編95:7ー11×ローマ11:11)と言う不思議な摂理が描かれる。実に、神の全世界への救いの幻は、アブラハム、ダビデ、主イエスと繋がる計画の中に歴史の当初からあった。(創世記12:1ー3、マタイ28:18ー20)
こうして、「主に歌え」の三連唱(3ー6)と「主に捧げよ」(7ー9)の三連呼 で先に主を知る恵まれた私達に迫る。福音を全地に満たすために感謝、真心、宝、時間、才能、命さえ主に捧げよと神は招かれ、挑戦される。利己的自己実現には空しさが付きまとう。最後に被造世界に賛美を命ずる創造神の思いに共鳴して鳥獣、昆虫、魚も、また風雨雲も地球交響曲を奏でる。王の王、主の主による統治が始まる時、全地は讚美に満ちる。

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