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—御心を探りつつ行く — 使徒の働き22章22-30節

使徒パウロは「ローマ市民権」を持っていた。しかも、生まれながらの市民であった。それは、パウロの父もしくは祖父の代からローマ市民であったことを意味している。ローマ市民権を持つ者にはいくつかの特権があり、ローマ式のむち打ち刑や十字架刑の免除もその一つであった。
パウロは、暴動の真意を確かめるためにむち打ちで拷問されそうになったが、自身が「ローマ市民権」を持っていることを伝え、そのことによって鎖が解かれた。パウロの持つ「ローマ市民権」によってパウロは命が救われ、正式な裁判が開かれていく。「ローマ市民権」はパウロの優秀さゆえでも努力でもなく、生まれた時から自動的に得ていたものである。
主の備えと救いのみわざには、驚くばかりである。主は、私達に様々なことを備えてくださる。主の助けは、驚くべき奇跡だけではない。身近なものを用いて私たちを助けることも可能である。五里霧中のような時であっても、主にはその備えがある。信頼して行こう。ここまで守ってくださった主は、これからも守ってくださる。

「恵みの管理者」 ローマ人への手紙6章15〜23節

出エジプト35章は、幕屋を作るための材料を集め、作り始める場面である。それぞれが、持っている品物を持ち寄り、それぞれの知恵と力をささげている。働く者たち、捧げる者たちは、「感動した者」「心から進んでささげる男女」「心に知恵のある女」「知恵を用いたいと思った女」と表現されている。
また、神様は、ベツァルエルを神の霊で満たし知恵を与え、あらゆる設計的な仕事をさせた。神様に仕えることは、難行苦行ではなく、喜びである。
神がしてくださった、様々な、数え切れぬほどの恵みを覚えて、感動し、仕えるのである。その仕えるところに、さらに主が働き、力を与えてくださる。
ローマ6章では、「奴隷」と表されているが、単なる、「働き人」ではなく、主人に従う姿を現している。主人を信頼して、その言葉に従い、勤め上げるとき、捧げることが喜びとなる。そして、ベツァルエルのように、巧みな技を行える知恵も与えてくださるのである。
主は、私たちに期待しておられる。だからこそ、罪の奴隷から解放し、神に仕えることができるようにとなさったのである。罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
  


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