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2020_04_19  ピリピ4章1-9節「天国民の心得」大槻紀夫牧師 [礼拝メッセージ]













目覚めの挨拶 マタイの福音書28章1-10

安息日が終わって週の初めの日に主はよみがえられた。主の使いは、墓を見に来た二人のマリヤに空の墓を見せ、主がよみがえられたことを宣言した。マリヤたちが弟子たちのところへ知らせに行く時「おはよう」と言ってイエスが彼女たちの前に現れた。
「おはよう」というのは「喜びがあるように」という意味である。この挨拶はマタイ26:49でも使われている。ここでは「こんばんは」である。ユダが暗闇の中、イエス様を特定するために挨拶を用いたのである。ユダは「喜びの挨拶」を裏切りに使ったのである。イエス様の悲しみは計り知れない。
しかし、よみがえられた日の朝、主は、自分から同じ挨拶をされた。悲しみの挨拶は、喜びの挨拶へと変えられたのある。悲しみの朝は、本当の「喜びの朝」へと変えられた。主は、罪にも死にも勝利された。この事実にしっかりと立っていこう。主に信頼するものは、だれも失望することはない。

ローマ人への手紙10章14~21節「聞くことと知ること」

「ねたみ」は、聞き栄えの良くない感情である。
しかし、「わたしは、民でない 者たちであなたがたのねたみを引き起こし、...」と書かれている。
ここでは、「ね たみ」を起こさせたのは、神である。
それは、本来、救いの枠組みから外れていたような「民でない者たち」「愚かな国民」を救いに導くことで、イスラエルの民に 引き起こされた出来事である。
しかし、この「ねたみ」は、イスラエルの民を救い に導く主のご計画である。
主はなんとかしてイエスラエルの民の回復を願っておら れるのである。
主は、私たちにも同じように、関わって下さっている。
「不従順で 反抗する民に対して、わたしは、終日、手を差し伸べた。」と主は言われる。
その主の言葉は真実である。

「目覚めの挨拶」20200412 大西健太郎牧師 [礼拝メッセージ]

マタイの福音書28章1〜10節







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