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降誕祭の光と影 20181223 大槻主任牧師  [礼拝メッセージ]




神の冒険 20181216 大槻主任牧師 [礼拝メッセージ]






今日から後に 20181209 大西牧師 [礼拝メッセージ]






「掃除の心」  使徒9:36-40

風物詩の大掃除風景も珍しくなった。箒を手に持つが掃除の心、女偏に箒で「婦」である。機械化と蔑称との理由で消えかけている。さて、「婦」は古代中国に由来する爵位で、殷代には八爵位の内、王の妻に与えられる最高の爵位であった。子、侯、伯.....爵位等の上に位置した。
この箒は宗廟を浄めるために酒を注いだもので、国事行為の一つで選ばれた少数の「婦人」のみが許された。あの「雑巾」も元来は「淨巾」であったと。
更に四書五経の一つ「礼記」には配偶者の呼び方を「士は婦といい、庶人は妻と言う」とあり、妻より婦が上であったという。婦の心を軽んずる精神性とは、清濁の意識の低下、罪意識の欠如、仕える心の軽視である。整理整頓は取捨選択をする優先順位の価値観がないと出来ない。墓所は、教会堂は、聖壇は尊ばれて清められているか? 
お掃除ロボットに任せておけば....の発想の危険は.婦の心、掃除の心を忘れさせる点にある。女弟子タビタは、この精神に生きていた貴重なモデルである。

20181202 私があなたを贖う 出エジプト6:1ー13  大槻主任牧師 [礼拝メッセージ]






わたしがあなたを贖なう」 出エジプトの心

宰相となったヨセフの勧めで、ナイル川扇状地東ゴシェンに移住したヤコブ一族は、摂理的な神の加護の下、飢饉難を逃れた。
歳月は流れて、王朝の盛衰に左右されて、昔の厚遇は夢のような過酷な時代が巡り来た。第18王朝トトメスⅠ、ⅠⅠ世またアメンホテプⅠⅠ世の圧政下の苦悩からの呻吟は天に届いた。
430年の時満ちて、遂に、解放の時は訪れた。時はBC15世紀半であった。神の事業のための起用人材は?
①人材育成  
幼児殺害の罠を免れ、奇しくも王宮で養育されるも、挫折の峠を越え、砕かれて、晩年になり解放者に召されたモーセ。人の思いとの隔たりの不思議。総ては神に依らねば叶わぬ大事であり、無力の力を荒野で養われた神の育成法であった。
②贖罪の礎
出エジプト記は「贖いの原点」を物語り、過越祭に描かれる「贖罪の子羊」は主イエスにおいて、正に、1500年後に、この大祭の只中で十字架上に成就した(ヨハネ1:29)。神の御子のいのちの代価を払って。
③契約の神
その真実と主権は「わたしは主である」(6:1ー13)と啓示なさる方ヤハゥエによって救済史に輝いている。天下に唯一の救いである。(使徒4:12)

現状からの出発  ハガイ1章1-15節

私達は、忙しい日々を送っている。暇な人は、いないであろう。
ハガイ書の背景は、バビロン捕囚後エルサレムに帰還し国の再建に取り組む人々の姿である。喜び勇んで帰ってきたものの、荒れ果てた土地と街、そして、諸国の妨害で神殿の再建は頓挫していた。時はすでに16年が過ぎ、人々は生活に追われていた。
神様はハガイを通して、神殿を再建するように民を励ましていく。人々は「生活の貧しさ」「諸国の妨害」「時が来ていない」ことを理由に神殿の建築を後回しにしていた。神は作業をするしないよりも、「信仰」を問題にされた。
神様との関係を後回しにしている民の姿を残念に思い、問題とされたのである。私達が神様との関係を後回しにしている一番の問題はなんであろうか。神様は関係の回復を望んでおられる。むしろ、後回しにしている私達のために神様の方からやって来られた。
イエス様は「神御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。」(ピリピ2:6-7)
クリスマスが近づいている。主が来られたことの恵みを覚え、主に仕えることができることの喜びを再確認したい。

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