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「掃除の心」  使徒9:36-40

風物詩の大掃除風景も珍しくなった。箒を手に持つが掃除の心、女偏に箒で「婦」である。機械化と蔑称との理由で消えかけている。さて、「婦」は古代中国に由来する爵位で、殷代には八爵位の内、王の妻に与えられる最高の爵位であった。子、侯、伯.....爵位等の上に位置した。
この箒は宗廟を浄めるために酒を注いだもので、国事行為の一つで選ばれた少数の「婦人」のみが許された。あの「雑巾」も元来は「淨巾」であったと。
更に四書五経の一つ「礼記」には配偶者の呼び方を「士は婦といい、庶人は妻と言う」とあり、妻より婦が上であったという。婦の心を軽んずる精神性とは、清濁の意識の低下、罪意識の欠如、仕える心の軽視である。整理整頓は取捨選択をする優先順位の価値観がないと出来ない。墓所は、教会堂は、聖壇は尊ばれて清められているか? 
お掃除ロボットに任せておけば....の発想の危険は.婦の心、掃除の心を忘れさせる点にある。女弟子タビタは、この精神に生きていた貴重なモデルである。

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