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「父の宣言」    創世記49章28〜33節

「ヨセフ物語」は、兄弟間のねたみによって引き起こされた事件が、神様の恵みによって、救いの物語へと変換されていく、壮大な物語である。
物語の背景には、神の主権がある。ヤコブは、息子たちに、最後の言葉を語った。その内容は一見すると、偏りがあるように感じられる。ある者には「叱責」を含み、ある者には「祝福」のみが語られる。しかし、ここにこそ、神のご計画があるのではなかろうか。
ヤコブは、息子全員を呼び寄せた。全員が、それぞれの「ことば」を聞くのである。かつての彼らであれば、ねたみに囚われてしまったかもしれない。しかし、ここで全員を集めたのは、これからは、12部族が一つとなって、神に仕えることを教えているのである。
「叱責」は、ただ単一の部族のものにあらず、「祝福」もまた単一の部族のものではない。これらは、イスラエルの民全体への「叱責」(注意点)であり、神様からの「祝福」である。だからこそ最後に「…おのおのにふさわしい祝福を与えたのであった。」(49:28)と記されている。
優劣があるように感じるかもしれない。しかし、そもそも「祝福」は、人の善行の報酬ではなく、神の恵みによって与えられるものである。「祝福」をどう用いていくのか。与えられたものを感謝して如何に活用するのかと期待されているのではなかろうか。それが、大きければ、影響も責任も大きい。
今年も、神様からの期待に共に応えて行こう。

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