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2020年3月15日 確信のある人生 大槻主任牧師 [礼拝メッセージ]









—パウロの主張 —  使徒の働き25章13-22節

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」(伝道者3:11)主が働かれる時、驚くほど事が進んで行く。そして、同時に人の決断も用いられる。パウロは、カイサリヤで裁判を受けた後、明確な罪の証拠がないにも関わらず、二年もの間保留された。総督が変わり、再度裁判にかけられることになったが、当然、パウロを死刑にするほどの罪の証拠は見つからなかった。パウロは、総督からエルサレムでの裁判を提案されたが上訴すること、ローマに行くことを選択した。パウロは自分自身が無罪であることは十分承知していたであろうし、上訴していなければ釈放される可能性もあった。(使徒26:32)しかし、パウロは神の使命に生きることを選択した。(使徒23:11)主のなさることの全てを私達が見きわめることはできないが、主のなさることに間違いはない。「時にかなって美しい。」という言葉は真実である。

—光の証 — ヨハネ福音書1章6-13節

新約聖書の時代、御霊によって力づけられた使徒たちによって、宣教は力強く進められた。しかし、その道は平たんではなかった。その働きの困難さと同時に福音の力強さは、使徒の働きに記されている。
使徒達の時代が終わろうとする時、ヨハネの福音書が記された。イエス様と同時期に活躍したバプテスマのヨハネは依然人気があった。ときに、イエス様よりも敬われることがあったようだ。
しかし、聖書は、またバプテスマのヨハネ自身も、決して自分自身を力ある者としては語らなかった。あくまで自分自身は「荒野で叫ぶ者」であると紹介した。そして、バプテスマのヨハネは「待ち望む」ことを民に勧めた。「待ち望むこと」は、恐れ、悲観することではない。それどころか、「力が与えられること」である。大切なのは、「何を待ち望むのか」である。
「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼を広げて上ることができる。」
(イザヤ40:31a)

「中途半端」20191103 大槻主任牧師 [礼拝メッセージ]






2019年10月13日 愛ある人生 ブラッド師  [礼拝メッセージ]






2019.10.20 礼拝メッセージ 大槻主任牧師 [礼拝メッセージ]








弱気になった時は 20190901 [礼拝メッセージ]






—御心を探りつつ行く — 使徒の働き22章22-30節

使徒パウロは「ローマ市民権」を持っていた。しかも、生まれながらの市民であった。それは、パウロの父もしくは祖父の代からローマ市民であったことを意味している。ローマ市民権を持つ者にはいくつかの特権があり、ローマ式のむち打ち刑や十字架刑の免除もその一つであった。
パウロは、暴動の真意を確かめるためにむち打ちで拷問されそうになったが、自身が「ローマ市民権」を持っていることを伝え、そのことによって鎖が解かれた。パウロの持つ「ローマ市民権」によってパウロは命が救われ、正式な裁判が開かれていく。「ローマ市民権」はパウロの優秀さゆえでも努力でもなく、生まれた時から自動的に得ていたものである。
主の備えと救いのみわざには、驚くばかりである。主は、私達に様々なことを備えてくださる。主の助けは、驚くべき奇跡だけではない。身近なものを用いて私たちを助けることも可能である。五里霧中のような時であっても、主にはその備えがある。信頼して行こう。ここまで守ってくださった主は、これからも守ってくださる。

「恵みの管理者」 ローマ人への手紙6章15〜23節

出エジプト35章は、幕屋を作るための材料を集め、作り始める場面である。それぞれが、持っている品物を持ち寄り、それぞれの知恵と力をささげている。働く者たち、捧げる者たちは、「感動した者」「心から進んでささげる男女」「心に知恵のある女」「知恵を用いたいと思った女」と表現されている。
また、神様は、ベツァルエルを神の霊で満たし知恵を与え、あらゆる設計的な仕事をさせた。神様に仕えることは、難行苦行ではなく、喜びである。
神がしてくださった、様々な、数え切れぬほどの恵みを覚えて、感動し、仕えるのである。その仕えるところに、さらに主が働き、力を与えてくださる。
ローマ6章では、「奴隷」と表されているが、単なる、「働き人」ではなく、主人に従う姿を現している。主人を信頼して、その言葉に従い、勤め上げるとき、捧げることが喜びとなる。そして、ベツァルエルのように、巧みな技を行える知恵も与えてくださるのである。
主は、私たちに期待しておられる。だからこそ、罪の奴隷から解放し、神に仕えることができるようにとなさったのである。罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
  


201707 大槻主任牧師メッセージ 人生最良の日々 [礼拝メッセージ]








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