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「新しいいのち」   ローマ人への手紙6章1〜14節

私たちの「苦しみ」は「罪」から始まっている。創世記3章は、その始まりを教えている。「夫婦の関係」「出産の苦しみ」「労働の苦しみ」そして「神と人との関係」どれもが本来ならば、喜びで満たされるべきはずのものである。人は、「苦難」に目を止めるが、聖書は「罪」の問題を取り扱う。それが、すべての根源だからである。イエス・キリストは、その根源たる「罪」を取り除くために十字架にかかり、葬られ、3日目によみがえられた。キリストの十字架の死と復活を信じ、受け入れたものは、キリストと同じ「新しいいのち」に歩むことができる。キリストの「救い」は、すでに完成されているが、私たちの体は、この地上では弱いままである。私たちは、依然、罪の誘惑にさらされている。だからこそ、「罪に支配させる」のではなく、「あなたがた自身を神に献げ、また、あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい」と使徒パウロは語っている。「もう救われているのだから…」と安易に罪に身を任せてはならない。滅びは、私たちを巧みに狙っている。神に自分自身を捧げることに集中することこそ、すべての「苦しみの根源」から私たちを守り、成長させる唯一の道である。

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